2013年2月28日木曜日

和の香りの歴史【玖】

で、前回の江戸時代の続きです。

江戸の後と言えば、
いや~ロバくん明治だよ、
の1868年からの明治時代です。
近代です。
最近は1868年ではないみたい
ですね。

幕末の盛り上がりそのままに
時代は進み、欧化主義へと。

鹿鳴館とか聞いたことあります
よね。文明開化、富国強兵、
西洋諸国に追いつけ追い越せ。

古い物は追いやられ、日本文化は
ダメダメってなことで、大事な
物が海外に二束三文で売られて流出。
浮世絵も器を包む、包装紙として
使われていたそうですね。

でも、流出先で大事にされている
から、いいのかな。

どこの国でもこういうことはあるから、
歴史は繰り返すって感じです。
まぁ、今もほんとに繰り返してるとしか
思えないこと沢山ありますからね。
TTPはブロック経済ではないのか?
とか思ってしまいますよ。余談ですが。

神仏分離令により、神社とお寺は別々
となり、廃物希釈運動もあったりで。
仏教と深くつながっていた香りの世界
にも色々と影響が出ていたそうです。

現在、国宝・興福寺の五重塔は、
20万円で売りに出されたたとか
当時の20万円ってすごいのかもしれ
ないけど、今となっては国宝ですから
ねぇ。大きすぎて買い手がつかなくて
よかったなと思います。
そんな時代。

この時代、どんな伝統文化も非常に
厳しい時代だったようです。
入門者がほとんどないとか。

西洋からは、扱いの楽な香水も
どんどんと入ってくるようになり、
あ、幕末ですけど、坂本龍馬は
香水を付けていたそうですね。
でも、彼はお風呂嫌いだから、
かなりの臭気を放っていたらしく。

香水と混じってどのような香り
だったのでしょうか。平安時代の人
よりもヤバばかったのではと思い
ます。彼はアクティブに動き回って
いたし、船にも乗って、塩気も
あったり。ひゃ~。でも、モテモテ
だったんだから、さぞかしいい男
だったんだろうなぁと思います。
見た目というか中身というかね。

私は高杉晋作と坂本龍馬が幕末
ツートップなので。この二人の、
この時代だったからこその存在感が
大好きです。他の時代だったら、
ただのバカ息子的な。お三味が得意で
歌がうまいとか。もうたまりません
な設定ですね。すごい余談だ()
とは言いつつ、薩長側好きではなく、
やはり江戸が好きなのです。

明治中期には極端な欧化政策に
対抗した動きも出て、伝統文化が
前に出てくるようにもなりますが、
やはり新しい物へはなかなか勝て
ません。

伝統文化にとって、近代は受難な
時代でございます。

続く・・・

2013年2月21日木曜日

和の香りの歴史【八】

またも、ちょっとした放置に・・・。

隕石が落ちてから、気温が下がって
いるような気がするのですが、私の
気のせい?でしょうか?

でも、そのお陰か、昨年よりも飛散量
が多いと心配だった花粉も、まだ、
そんなにな感じがしております。

さて、江戸時代の途中でした。

この時代も様々な調香が残っています。
太田南畝という狂歌の作者の『一話一言』
という随筆集の中に記されているものが
あります。

太田南畝については、こちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%8D%97%E7%95%9D

紀州様の方、御台様の方などに
並んで越前守様の方があります。
(この『方』という文字は、調香の
意味として使用されております。)

お~っと、この越前守は役職名に
なりますので、大岡忠相かはわかり
ません!

ただ、太田南畝のいた時代は、
八代将軍吉宗の後、家治から
家斉の頃。ちょっとこの二人、
あまり有名ではないので、
田沼意次から寛政の改革を行った
松平定信の頃の方がわかりやすい
かな。

なので、時代劇好きとしては、
この調香があの二人だったら、
かな~り面白いんだけど~、って
感じなのです。

紀州家様の方は『小夜衣』という
当時の夜着を銘にしています。
濃くて甘くて、個人的には好きな香り。

越前のは、・・・、女性と男性が
梅を見て感じることがここまで
違うのか、というのを、改めて
教えてもらった『梅花』という
銘の香りです。

吉宗は意外と女性っぽいところが
あったのかも、と香りから想像して
みたり。紀州様とあるだけで、吉宗
かはわかりませんが、勝手に思って
おります。

越前は、そう、ちょっとだけ
フェチな印象を受けております(笑)。

その他にも、塙保己一という盲目
ながらもとてつもない膨大な量の
書物の編纂をされた方がいらっしゃい
ます。編纂した本は群書類従という
ものです。

群書類従と群書類従については、こちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4%E6%9B%B8%E9%A1%9E%E5%BE%93

この中の薫書類従という部分に
平安期他の調香などが残っています。
香り創りについては、香道や雅楽、
についてなどが書かれている所謂、
趣味の部とでも言うのでしょうか、
その巻に載っております。ここには
鷹の飼い方とかも載ってまして。
この鷹については、私がこの本を
買うことにした決め手の一つでも
あります。

だって、鷹匠さんってかっこいい
じゃないですか~。

塙保己一については、こちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%99%E4%BF%9D%E5%B7%B1%E4%B8%80

いずれも普通の本屋さんにはないと
思いますので、ご興味お持ちの方は、
大きな図書館などで探してみてください。

まだ、まだ、続きます。江戸時代。
でも、あと一回位かと思います(笑)。

~続く~

Music: "Future Listening" - Towa Tei

2013年2月11日月曜日

和の香りの歴史【六】

ちょっと間が空いてしまいました。
昨日は、旧暦一月一日だったそうで。
上手い具合に連休ですし、何だか、
また、気分も新たな感じ、がします。

さて、戦国~織豊時代も関が原の
決戦を経まして徳川によって平定、
長きに渡って安定した時代を迎える

江戸時代のお話です。

個人的に、江戸時代は大好き
時代。面白いですよねぇ。

なんだって笑いにしちゃうし。
文化も非常に興味深い。
同時代の世界の国々と比較を
しても、庶民の文化度はピカイチ
で高く、イキイキと暮らしていた
言われる時代。
そんな国は他に類を見ないとか。

単に文化が熟成していたとか、
そいうことではないと思います。

全体的なレベルが非常に高かった
という視点でみると、江戸時代って
すごいなって思いませんか?
多分、それは、日本人が持つ思考力
があるからだと思うのです。

安土桃山時代に布教でやってきた
フランシスコザビエルが、他国では
聞かれないようなことを日本人から
色々と突っ込まれて、精根尽き果てた
というのが面白くて。iza!で書いた
内容に追記しております。
時代を問わず、日本は本当に面白い!
と思う次第です!
http://matome.naver.jp/odai/2135865942369973001
 

もちろん、飢饉とかは当然あった
し、身分制度はありました。
ただ、昔はどんな国もそうな訳で、
その中での比較ですから・・・。
そのあたり、お間違いなく~。

さてさて、江戸幕府と言えば、
天海上人とか言わないで下さい~(笑)。

家康は前回でも書きましたが、
自分で漢方薬も調合したし、
もちろん香りの調香も。同じもの
使いますから~。

練香の場合、乳鉢と乳棒を使用
して、混ぜ合わせていきます。
本当にお薬っぽいですよね。
おまけに蜂蜜まで使うので、
初めて練香を作る生徒さんは、
蜂蜜は何に?と、とても不思議
なようです。

あと、無類の伽羅好きだったそう
で。まぁ、伽羅を好きではないと
いう方はいらっしゃらないのでは
と思いますが。

当時の東南アジア諸国に、あなた
の国に素晴らしい伽羅があったら
譲ってくれと親書を送っていた程。

今の時代に生きていたら、所謂、
蒐集家の一人だったかもですね。

一人、乳鉢に向かって香原料を
混ぜ合せていたのかと思うと、
何だか微笑ましいです。

時代が落ち着いたとは言え、
まだまだお毒見もいれば、で
命は狙われている訳でして。

調香の時間は、香りに包まれ、
そんな様々なストレスから解放
されていたのかもしれないなぁ、
って思います。

ちなみに、御香典はなぜ、香り
の文字を使うかというと、仏様に
捧げる香り代として使って下さい
とお渡しするところから始まった
からだそうです。

長屋のみんなの場合は、お金を
出し合って御香料として渡したり。
なんだか、ここで間違いが起きて、
の笑い噺とかあったら聴いてみたい
ですね。

江戸は、もうちょっと書きたいので。

~続く~

2013年2月7日木曜日

オセンコウノコトイロイロ ソノニ

速に、お線香の話の続き、です。

それでは、まずは、どのようにして
作っているのか、から始めていき
ましょう。
何だかお料理っぽいですね(笑)。

香木と香原料を調香をします。
匂い袋の時は、刻んだものを使用
しますが、お線香の時は練香同様、
香木、香原料のそれぞれが粉末に
なったものを使用して調香します。
(もちろん、どんな香りを創るのか、
のイメージは必要です。)


必要な香原料を入れていきます。



調香が済み、よ~く混ぜましたら、
そこに椨(たぶ)の粉を加え、またよく
混ぜます。



次に、お水を適量加え一生懸命
練ります。


粘土っぽくなってきます。

そして、その後、絞り出して
最後に乾燥

というのが作業工程です。

工場の場合、全てが機械化です
から、絞り出しもところてん方式
です。

が、私は、個人の作家故、全てが
手作業。一本ずつお線香を絞り
出すという気の長いけど、迅速
に行わないと乾燥始めるから、
もう大変という作業をして、完成
させていきます。

さて、工程途中に出てきました
椨(たぶ)という文字。
これは、何かと言いますと、
木、です。ただ、この木、とても
面白い性質を持っておりまして。
この木を粉末にし、それに水を
適量加えると・・・、

あら不思議。糊化を始め、よく
混ぜた香木と香原料が粘土状
になるのです。




この椨の木の性質を利用して、
お線香は作られるのです。

ちなみに、100%自然のものだけ
お線香を作ると、どのような色に
なるかと言いますと、写真のような
アースカラーです。

木のような茶色っぽい感じです。
ウコンなどを入れると、多少、色味
は変化します。また、丁子を多めに
入れると多少の赤みを増しますが、
やはり、アースカラーです。

使用している香原料が、香木・沈香と
白檀に漢方薬で使用されているもの
だけだからです。

いずれも草果木根からのものばかり。
だから、そういう色になるのです。

おっと、麝香も使っております。
草果木根ではなく、麝香鹿ですので
動物も一部です。

巷に溢れるカラフルな色の物や
緑、紫・などは基本、色をつけて
いると思ってください。茶色でも
微妙に違いますので・・・。黒も炭で
色を付けられますが、炭の量で色が
全く変わりますし・・・。

また、100円均一で売られている
白檀の香りなどに本物が使用されて
いる訳がありませんので~。
価格と品質は比例しているとお考え
頂けたらと思います。安いものには
本物は入っておらず。
これは、食品と同じです。天然物
なのか合成香料で作っているのか。

ただ、だからといってよくないという
ことではなく、自分の好きな香りを
感じて、それをきちんと選ぶことが
大切だと思います。

どんなに高いものでも、自分のどこか
でイヤだと感じていたら、それは深い
部分でのストレスになります。私は、
ご使用をあまりお勧めいたしません。

香りは深いところに入っていきます。
ご自身が心地よいと思われる香りを
上手く見つけて、楽しんで頂ける
のがいいなって思います。

効能ではなく、自分が感じる感覚で
選んでみてください。本当に気持ち
のよい香りであれば、自然と呼吸も
深くなり、リラックスに繋がっていく
からです。

100%自然の物だけで作られた香り
と、そうでないものの香りの違いと
いうのも、何かの機会で体験されて
みるのも面白いかと思います。
自然のものだけの香りは、とても
素晴らしいです。

講座でもお線香創りは行っております。
また、ゆすらの香りは100%自然のもの
だけ!
ぜひ、お試しになってみてください。

と最後は宣伝で失礼いたしました!


Music: "G.LOVE & SPECIAL SAUCE"

2013年2月6日水曜日

オセンコウノコトイロイロ ソノイチ

また、雪?!とびっくりな明日の
天気予報。今、まだそんなに寒く
ないような気もするのですが・・・。

交通機関は既に本数を減らすとの
ニュースでも報じられておりますが。
朝の通勤時は、大変ですね。

アシタハ、ユキンナンダネ

と、片仮名で書いてみると、何やら
子供が雪で楽しく遊んでいるような
感じがして。それだけで、日本語は
すごいな、って思ってしまうのです。

さて、本日は江戸時代に入る前に、
お線香について。

お線香は、練香や匂い袋と比べ
たら、格段に歴史は浅く。
始まりは江戸時代前後頃と考えら
れております。

ただ、お線香の製造の伝わり方に
ついては、江戸時代に五島一官と
いう中国出身の帰化された方が
伝えたいう説と、大阪で1575年に
小西弥十郎という方が作ったという
記録の両方がありまして、現在でも、
諸説紛々です。
(江戸幕府開府:1603年)

当時、新しい知識が入ってくる経路が
違っただけで、両方とも同じタイミング
で始めたのではなかろうか、と私は
思っています。

最初のお線香は、竹芯香(ちくしんこう)
と呼ばれる物で、竹の芯にお香を塗り
固めてあるものでした。花火とかアジア
で使用されているお線香を思い浮かべ
て頂けたらと思います。

それが途中で進化して、押し出して
作る今の形状へと変わっていきます。

戦後、香水香と呼ばれるお線香が
発売されるようになり、香りへの
イメージも徐々に変わっていきます。

そして、インセンスという英単語が
持つ香りの楽しみ方へと世界的に
大きく動くのが、LOVE & PEACE
1960~70代のヒッピームーブメント
の時代が大きく関与してきます。

ビートルズやストーンズがこぞって
インドへ行き、西洋とは違う様々な
文化に触れてきます。
時代はサイケデリック真っ盛り。
エミリオプッチのあの柄だって、
相当にぐるんぐるんしてますよね。

まさに、サイケ、です。

インドで体験している様々の中で、
お香が出す煙の動きというのに、
心地よさを感じ、そして、香りが
持つ何かにリラックスをしていた
のかもしれません。だからこそ、
あの時の彼らにグッと来たのかも
しれません。

その後、本人達の帰国する際、
お香を持ち帰り、あの世界的な
アーティストが使っているのです
から、あ~っという間に世界中に
広まりというのが、他国での動き
のようです。

日本の若者へは逆輸入ですね。
比較的年配の方々から伺うのが、
お客様がお見えの前には、お仏壇
にお線香を上げ、いい香りを部屋
に薫いておくということをされて
いたということ。

お部屋の香りとしてお線香を楽しむ
というのは、それ以前から日本は
していた訳ですが、この逆輸入に
よって、一気にお洒落な習慣の一つ
へと変化をなす訳ですね~。

日本はこういうの多いです(笑)。
もっと本来持つ日本文化の
素晴らしさを感じてもらいたいなぁ
と思います。
日本の文化は、ある意味で大人の
文化ですからね!わかりにくい
ところが多分にあるし、時間を
かけないと見えてこないとか。
香り創りで時間がかかるところ
と言えば、寝かせた方が香りが
よくなるとかでしょうか。
ただ、使用する香木が生まれて
くるまでに要する時間は、相当
なものかと。

さて、ソノイチなので、続きはあり
ますよ~。ソノニでは、どのように
作るのかなどなどです。

~続く~

Music:"50 Words For Snow" - Kate Bush

2013年2月4日月曜日

和の香りの歴史【伍】

節分でしたね~。もう、年齢の分
なんて頂けません!!!(笑)

いたるところで恵方巻き。これを
初めて見たのは、もう随分と前の
大阪出張時。以前、VERSACEと
いうブランドでプレスをやって
いた頃です。それについては、
また、改めまして。

お昼に近所のお蕎麦屋さんの前を
通った際に目に入ったポスター。
思わず、「何ですか、これ~?」
って大笑いをしたのですが・・・。

今では、もう、すっかり関東でも
習慣となったようで。
びっくりしたのは、クリスマス終了
時点でコンビニに恵方巻きポスター
が貼られたこと。
いやいや。その前にお正月だよって。

さて、ようやくブログを書く気合も
入ってまいりました。歴史の続きです。

前回、室町時代についてでした。
前半の南北朝時代のことが色濃く、
東山文化の頃についてはあまりなの
ですが、このまま、いよいよスター
軍団ぞろぞろな戦国~安土桃山時代
へと突入です。

下克上荒々しく、そして、信長が
日本を平定したことで、有名な
東大寺正倉院の蘭奢待も登場です。
香木としては伽羅に分類されます。
詳しくは、また、今度に。
ここで書いていくと、歴史の話が~。

室町時代に続き、香木を薫き、楽し
んだり、衣装に香りを移したりも
しております。

武将クラスになると、戦の前の昂ぶりを
抑えるために、沈香を薫き、その香りで
気持ちを落ち着け、戦に臨んだりもした
と言われています。

自分の判断一つで城はなくなり、命も
落とす。大変な時代です。

そんな武将の奥方様は、自分の主人の
兜に香りを移し。
これは、万が一、首を取られた時に
見苦しくないようにするためだった
と・・・。
実際、これは絵でも残っておりまして、
以前、藝大美術館で香りの展覧会が
あった際に、展示されておりました。

歴史好きなもので、この時の気持ちは、
とか色々と思いを巡らしてしまいます。

なぜ、沈香かと言うと、香りがよいと
いうのはもちろんだと思いますが、
どうも沈香の香りは血圧を下げる
ことがあるらしく。

医学的に証明がなされていないので、
効果があるとは言い切れません。

ただ、講座などで沢山を一度に聞いて
頂いていると、講師のこちらがクラクラ
してきてしまうことが、実はあります。

勢い余る気持ちを、香りとともに鎮めて
いたのでしょうね。

中東では、あの白いロングドレスの
ような男性の衣装に、毎朝、奥様が
乳香を薫き、香りを移しているそう
ですね。最近は、多少、香りの好み
も変わってきているのでしょうか、
乳香に香水をしみこませたような
ものも使用されたりしているよう
です。

日本でも、また、香りを移す習慣が
戻ってほしいなって思います。

匂い袋がクローゼットに入っている、
ポケットに忍ばせているだけでも、
随分と違うと思うのですよね~。

そういう男性はステキです!
そして、それに気づいている女性は
ワンクラス上のお洒落がわかって
いる!な~んて思ってしまいます。

さて、また本題に戻らないと。
寄り道長すぎだし~。

この時代の面白いのは、武将達が
自分の香りを作り、名刺代わりの
ように身につけていたということ!

さすがは、安土桃山!
ビバ・デコラティブ!
南蛮渡来の珍しいものを、今までの
和と足して、足してを楽しむまさに
デコラティブ文化の時代。だって、
あのエリザベスカラーで着物を着て
しまう時代ですよ、皆さん!

着物の柄も、斬新な物が多かったと
先日、帯屋さんに教えて頂きました。
お花を三分割し、色で割ってみたり。
今では思いもつかないような図案に
チャレンジしていたそうです。
面白いなぁ。

だから、安土城は青く、碧く、美しい
お城だったのだろうか、なんて思って
みたり。残っていてほしかった。
燃えていなかったら、信長の調香など
もきちんと残っていたかもしれない
なぁ、とか思う訳です

生死を賭した時代。香りを作っている
時の集中力が、様々なことを忘れる
時間であったり、感性や直感力を磨く
時間でもあったのではなかろうかと
思っています。

そして、唯一、世の中の様々を忘れら
れる時間とでも言いましょうか。
もちろん茶道などでの気分を変えると
いうこともあったと思うのですが、
形のあるものを使用します。それを
使用することで、その空間が新しい
ものへと変化すると思います。

香りは錬金術に近いと私は思っており
まして、無を有に表すと言いますか
ここ、うまく文章が書けておりません。
また、近いうちにこれについては書き
たいと思います。

その後、日本を治める徳川家康の調香
もきちんと残っております。

香り創りは、香りでその人が感じている
世界観を表現します。全く異なる様々な
香原料を一つのものにしていきます。

武将は、そこに、もしかしたら日本を
見て、感じながら調香していたのかも
しれません。

家康の香りの名前は『千年菊方』。
何か、永遠に続く何かを感じていたの
かもしれない、な~んて思ってみたり。

ちなみに、武将達の残り香は、
「あ、誰々さんがいたな」とわかる位
だったそうです。現代の無臭時代だと、
かなり困るかもしれませんが、当時は、
まだ、入浴習慣はない時代。日常で
感じ取る香りの強弱は違います。
しかも、時代はデコラティブ。あり
だったのでしょう。

和の香りって女性が持つ物と思われる
方も多いと思いますが、歴史的に見ても
男性のお洒落アイテムの一つなのです~。

調香次第なのです。香りは一種類では
ありません。億通りになります。

香りで何を表現するのか、なのです。

男女問わず、ギフトに使っても素敵だと
思います。

オリジナルの香りのオーダーも受けて
おりますので、と宣伝も(笑)。

そんなこんなで、もう、すぐに江戸です。

2013年2月3日日曜日

和の香りの歴史 その伍の前

室町時代って、南北朝だなんだで
覚えるのが面倒だし戦乱続きで、
あまりきちんと勉強しなかった
けど、文化的には面白い時代で
あると、今更ながら気付かされ
ます。

なので、先にちょっとだけ歴史を

振り返ります。

1333年に鎌倉幕府が滅びます。

それから3年後の1336年に、
一応、室町幕府成立。
でも、朝廷は南と北に分かれて、
戦乱は相変わらず続いてます。

政治の中心は、当然ながら、鎌倉

から京に戻ります。
混乱の中、一攫千金を狙った多くの
人が、京に集まってきたそうです。
江戸幕府スタート時に、日本中から
人が集まってきたのと同じですね。

なので、雅ではなく、混乱の中から

何かが生まれるエネルギーを持つ
荒っぽい京というかな。アメリカの
西部開拓、ゴールドラッシュみたいな
感じを私はイメージしております。

で、幕府が成立して60年過ぎて、

ようやく争っていた朝廷も、
金閣寺を建立した足利義満の将軍
時代の1392年に合一。
ようやくスタートな感じ。

面白いことに、混乱期の南北朝時代は、

書物が非常に書かれているんです。
何か作るよりは、名誉心とかから後世に
記録残したいっていう感じで、書物が
流行ったのでしょうかね~。

義満の北山文化は、鎌倉時代同様に、
禅宗の影響を受けますが、公家文化と
融合します。
この融合というのが、日本文化独特な
何かを生み出す力なのではないかと
思うのです。現代においてもそうで、
色々な機械ものが、成長したのは
それかと。
つまり、日本そのものかもしれないと
思ってみたりしてます。どんな時代に
おいてもそうなのですが、入ってきた
ものを受け容れ、そして、さらに変容
していくというか。
日本人が持つ素晴らしい能力の一つ
と思います

銀閣寺の義政の時代は、応仁の乱も
あり、またまた戦乱に陥りますが、
北山文化がさらに洗練された、
わびさびな東山文化が生まれます。
政治を投げ出して文化一辺倒な義政と
言われるけど、争ってばかりの人に
囲まれ、戦乱の世だしで、人が本来
持つ内側の美しさを、物に見いだして
いたのではないかと思ったり。
だから、シンプルなわびさびに辿り
着いたのかなぁって思ってみたり。

この室町時代に生まれた文化の多くが、
現在まで続いている伝統文化となって
ます。お茶、お花、お能、香道などなど、
色々ね。お寺などもありますね。

一攫千金を狙い、それを手にした人が、

俺たちの新しい文化を作るんだ~、と
お金をつぎ込んでくれたのでしょうかね~。
IT長者の方々も、思い切って、芸術に
お金をつぎ込んでみてはいかがでしょうか。
結果は世紀単位でないと見えませんが(笑)。
野球みたいに結果はすぐには見えません。

こんな時代の中、香り作りはと言うと、

ふふっ、その伍をお楽しみに。



毎度、歴史については、思ってみたり、
と書いてある部分がありますが、これは
どなたかの本を読んでいるのではなく、
歴史の年表的な資料集を見て、自分なり
に考えております。
ので、史実ではないかもしれませんよ。
義政がほんとに上で書いたみたいなこと
思ったかはわかりません。
あくまで、私はこう歴史を見ている、なの
です。歴史好きなので、こういうの考えて
いるのも楽しいのです!
その中で、香りはと創造してみるのです!

第12回 香りの彩時記【 香進】が始まりました!

パレスサイドビル1Fの毎日文化センターの近くを歩いていると、何となく感じられるいい匂いの季節になりました。 今年も毎日文化センター和の香り講座の受講生による作品展が始まりました。 今回の参加者は2名ですが、それぞれの作品への思いが見えてきます。 作品展タイトルの「香進(こうしん)...